涙の谷

私の名前はイブラヒームですが、家族のセキュリティーを守るためテモテ・アブラハムというニックネームを使っています。私はデルタ域出身の素朴なエジプト人です。豊かなナイル河の流れ、そして四方を取り囲む一面の畑は肥沃ないのちをこの地にもたらしています。

幼い頃から私は強固なイスラム教育を受けて育ちました。村のお店の中にはコーラン(al-Kutaab)のことを教えてくれる人がいて、私は彼らから「六日間のうちに天と地をお造りになった神(アラビア語でアッラー)」を畏れることを学びました。
こうして神を畏れ、善行および有徳な生活を奨励する宗教に対し、私は一抹の疑問も抱いていませんでした。またコーランの朗読は魂に静けさをもたらすものとして教えられていました。
私はスーフィー式の礼拝形式に惹かれていました。というのも彼らはマホメットの人格を崇めていたからです。このグループはアブ・アル・アザイェムと呼ばれていました。私は全能の神アッラーとのより親しき交わりを求めていたのです。
ある晩7時ごろ、私はアル・マハッタ・モスクで夕方の礼拝(al-Maghrib)を捧げていました。祈りが終わると私はモハンマド・イマームとスレイマン・カフワシュという二人の人物を紹介されました。
二人は「ムスリム兄弟団(al-Ikhwan al-Muslimin)」のメンバーで、私をこのグループに勧誘するにあたり絶大な影響を及ぼしました。
彼らは敬虔なイスラム教徒になるよう私を励まし、毎週月曜と木曜、共に断食をするよう奨励しました。こうして週に二回、私たちは日の沈む頃、断食を終えてモスクに集まり、共にパン、チーズ、ヤシの実、おいしいサラダを食べました。
私はすべての行ないにおいて(食べる時の格好でさえも)預言者マホメットに倣うよう努めていました。イスラム兄弟団の人々は私に親切でした。また彼らは私の内に雄弁な説教者としての可能性も見出していたようでした。
それである日、当時の首領であったスレイマン・ハシェムが私の所に来てやさしく言いました。「イブラヒーム。お前はイスラムのメッセージを伝えるよう召されている。」
私はびっくりしました。「僕はまだ14歳だし、すぐにおじけづいてしまうと思います。」
しかしスレイマンは「明日の説教の準備のために」と言って、私に本をごそっと手渡しました。それ以後、太陰月の最初の月曜日に説教するのが私の当番となりました。
指導者たちは近隣の町々で私が説教する機会を作ってくれ、こうして私はさまざまなモスクで熱心に説教するようになりました。皆が預言者マホメットの伝統に従うよう私は熱烈に欲し、そのため私の妹は聖典の掟に従い、また慎み深さを示すベールを着けざるをえませんでした。
私は自分のしている活動について父の承諾を受ける必要がありました。父は14歳になる自分の息子がイスラム伝道者となって説教しているということをすでに耳にしているのだろうか?――私はそれが気になっていました。
しかし実際、父はすでに「狂信的になった」息子のことで周りの人々から厳しく批判されていたのでした。大多数の一般ムスリムにとって、イスラム兄弟団というのは宗教ギャングとみなされていたのです。
父は私のイスラム原理主義に対しカンカンに怒り、顔面にパンチを食らわしました。現在私の前歯は入れ歯です。この前歯をみると、自分が熱心な原理主義者だった時代、死に至るまで(苦しみに)耐えていたこと、そして献身ゆえの迫害をあえて甘受しようとしていた、かつての自分を思い出します。
こうして私の父は私のスンニ・イスラム文献(主にワッハーブとサラフィー派)を焼いてしまいました。
父は、モハンマド・マンスールという秘密警察がモスクの浴室から私の説教を(秘密裏に)録音していたのをよく知っていたのです。
私はマホメットの伝統に厳格でしたので女性と握手することもしませんでした。とにかく私は敬虔なイスラム教徒になりたかったのです。モスクでのイスラム兄弟団の祈りが終わる頃、父はリーダーの一人であったスレイマン・ハシェムを呼び止め、「どうかこれ以上息子に関わり合わないでほしい」と嘆願しました。
そして父は離婚の誓い(hilif alaya bi al-talaaq)をもって、「イスラム兄弟団が祈っている時はモスクに入ることを禁じる」と私に命じました。私は父に従いましたが、「モスクの外に座っている間、彼らの説教を聞くことだけは許してください」と父に嘆願しました。
しかし私はこういったことがあっても決してひるまず、毎朝の行事(taboor as-sabah)でも教えに行く先々のモスクでもイスラムについて説教を続けました。イスラムが間違っているなんて想像したこともありませんでした。
こうしてイスラム教を宣伝しようとしていたある時、「文通相手求めます」というコーナーのついた一冊の雑誌が私の手元に入ってきました。そこの欄にはアメリカ人の名前と住所が列挙されていました。私はその中の一人をランダムに選ぶと手紙を書きました。「この男をイスラムに改宗させよう」と思ったからです。
こうして私はペンシルヴァニア州に住むジョンと二年に渡り文通をしました。私たちはお互いに相手を改宗させようとしていました。聖書を論駁する本なら何でも私は読みました。さらに(コーランの中で聖書は改悪されたと教えられていたので)私は聖書の上に土足で乗ったりもしていました。つまり聖書に対する敬意をこれっぽっちも持っていなかったのです。
ところがなんとそのジョンが私を訪ねてはるばるエジプトの村までやって来たのです。生のクリスチャンを見たのはこれが初めてでした。
彼の誠実さ、率直さ、まごころ、そして寛容さに私は心を打たれました。その後ジョンは二カ月私の元に滞在しました。彼の祈りの生活はすばらしく、それは後に私の模範となりました。
こうして私の家のただ中に「生ける手紙」を目の当たりにするまで私はクリスチャンが祈るということを知りませんでした。――そうです、この人は、はるか遠くの地からやって来て、私たち家族の一員となり、そして偽りのないキリストの愛を具現してくれたのです。
ジョンは実にすばらしい祈りの生活を送っていました。彼は聖書の言葉を語る以上にまず祈っていたのです。私はジョンが神様と親しい様子をみて嫉妬し、ますますひんぱんにコーランを朗読するようになりました。
イスラム教は追従者に、有徳、貞淑、慈善を奨励する宗教です。またマホメットが歴史上の天才の一人であったこと――これも確かでしょう。また(イスラム教の教えによると)生前できるだけ善行を積むなら、最後の審判の日、神は(イスラム教徒)個々人の行ないをてんびんにかけて量ってくださるというのです。
その人の良い行ないはてんびんの片側の皿に、悪い行ないはもう片方の皿に置かれます。もし良い行ないの方の目方が重ければ、その信者はパラダイスに行きます。尚、コーランによればそのパラダイスとは大きな目をしたフーリー〈処女〉と戯れることのできる性的快楽の場です(恐ろしい出来事 56:20-23)。
しかし、私たちの主キリストはこう言われました。「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです」(マタイ22:30)。
ムスリムのみなさん。イスラムの教えによると、もしあなたの悪行の目方の方が重ければ、あなたは地獄の火の中に放り込まれるのです。
「それじゃあ、51%良い行ないをすればいい」ということになるかもしれませんが、依然としてあなたは自分がはたして天国に行けるのか否か全く定かでない状態に置かれています。あなたが言えるのはただ一つ「神のみぞ知る!」でしょう。
あなたはアッラーの憐れみに望みを置き、最後の日に天使もしくは預言者があなたのためにとりなしてくれるよう、そして地獄から救われるよう願っているのかもしれません。
親愛なるムスリムの兄弟姉妹。私も以前あなたと同じところにいました。でも今、私は自分が確実に天国に行けるという確信があります。
かつての自分がいかに失われた存在であったか、そしてそんな自分を神様がいかに探し出してくださったか、、、その事を思う時、涙があふれます。神様の偉大さに打たれ、その御姿を涙のうちにみる時、永遠のいのちが与えられていることを私は喜びのうちに知るのです。
聖書の神様は義なる方であり、また同時に憐れみ深いお方です。神の義はすべての人が地獄で罰せられることを要求します。というのも神は100%完全なお方だからです。
どんなに頑張って神様をお喜ばせしようとしても私たちは主の完全さには及ばないのです。つまり私たちの善行は自分たちを神様により近付ける手立てとはならないのです。神様は私たちの足りなさをご存知でした。そしてご自身でその代価を払おうと決心なさったのです。
こうして神様はご自身のロゴスであるイッサー・アル・マスィー(イエス・キリスト)を遣わされました。イッサーは全く罪・咎のないお方であったにもかかわらず、私たちの罪のために十字架上で罰をお受けになられたのです。
もし裁判官が、「あなたの刑の違約金を代わりに払ってあげることにした」と言うならどうしますか。
ヨハネの福音書3:16にはこう記されています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
神様は私たちを愛しておられるゆえ、ご自身のロゴスであるイエス・キリストを送ってくださり、イエス様は私たちのために死んでくださったのです。イスラム教は天国に行く保証を与えていませんが、キリストは確実にそれをしてくださるのです!
神様をほめたたえます!主よ、ありがとうございます。あなたは御自身の主権をもって、受肉されし御言葉である主イエス・キリストというペルソナにおいて、私たちの罪の代価を払ってくださったのです。そしてイエス・キリストこそ全能の神のご性質をあらわす明確な啓示であられるのです。
ジョンが去った後も、彼の影響はとどまり続けました。
とはいっても私はこんなことを彼に言いました。「ジョン。あんたが訪問してくれたことで、僕のイスラム信仰は以前にも増して強力なものになったよ。もう金輪際、ムスリムを改宗させようなんて思わないことだね。」
ジョンはさぞかし落ち込んだだろうと思っていましたが、彼はひたすら神様に嘆願と祈りを捧げていました。こうして彼のとりなしの祈りは主を動かし、ある晩、私は真夜中に目を覚まさせられたのです。
私は眠ることも休むこともできませんでした。内なる葛藤は極に達していました。そわそわと私は聖書に手を伸ばし、ランダムにページを開きました。すると次のような字句が目に飛び込んできました。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
そして私は思い出しました。ある日、ジョンと議論を戦わせていた時のことです。私は聖書のことを揶揄して言いました。
「ジョン。あんたの聖典は実に荒唐無稽だ。いったいどうしてサウロが福音の僕パウロになったとかいう話を信じられよう?」
ジョンは言いました。「この話は本当なんだ。だからこそ僕は君に対して忍耐深くあれるんだ。君はいつの日か、もう一人のパウロになるんだ!」
私は答えました。「おいおい、ジョン。僕が宗教中の宗教、イスラムを離れるなんて夢にも思ってくれるな。」
「サウロ、サウロ、、、」という言葉を考えながら私は主に言いました。
「主よ。わ、わたしですか?私があなたを迫害している?個人的に私はあなたに対して何ら悪いことをした覚えはありません、、、確かにあの女性医大生を警察に引き渡したことはあります、、、でもあなたに対しては何もしたことはありません。あなたの民に触れた者はあなたの瞳に触れたのだという言葉は本当なのでしょうか。」
イスラム教は主イエス・キリストの十字架上での死を否定しています。なぜなら、コーランはイエスの死における勝利は自分たちのものだと主張しているユダヤ人の言い分を取り下げたかったのです。
そしてコーランは、「神はイエスの代わりに、イエスに似た誰かを十字架に掛けた」と主張しているのです。
ムスリムのみなさん、聞いてください。神様は詐欺がかったことをなさるお方ではありません。もし神様がイエスを十字架から救い出したかったのなら、わざわざ騙してイエスに似た誰かを十字架に掛けるようなことはせず、奇跡を用いてそれをなすことができたはずです。
この点での誤りは明白であり、コーランが神聖な起源を持っていないことを証明するものです。さらにコーランは自己矛盾しています。
というのも、この本はユダヤ人がイエスを殺したわけではないことを主張している一方、下に挙げるように別の箇所(イムラーン一家3:55の初め)ではイエスの死の現実を明確に認めているからです。
神はこう仰せられた。「ああイエス、わたしは汝を死に至らしめ、そしてその後、汝をわがもとまで高く昇らせよう。」
ムスリムのみなさん。私はあなたを改宗させようとしているのではありません。でも次のような究極の問いを挙げたいのです。
キリストとは誰なのか?キリストは十字架上で死なれたのか?そしてそれがあなたにどう関係あるのか、ということです。
もし全人類の歴史がキリストを中心として繰り広げられているのだとしたら、私の全生涯および存在もこの方を軸として展開しているはずです。
キリストの十字架を否定することはそれ自体、矛盾した歴史です。コーランの中でマホメット自身が経典の民(=ユダヤ教徒およびキリスト教徒)に尋ねてみよと神様にうながされているのです。ということは彼はコーランに関して疑いをもっていたのでしょうか。
「されば、もしお前(マホメット)に啓示したことで何か疑わしい点があったなら、お前より前から聖典(聖書)を読んでいる人々に訊ねてみるがいい」(ユーヌス10:95)。
生まれて初めて私は「なぜ?」と問い始め、それまで当然のこととみなしていた一つ一つを掘り下げていきました。全ての前提が洗いざらい批判・検証されました。
しかしこういった私の態度は権威社会との間に軋轢を生じさせることになりました。こういう問いはアッラーの権威に食ってかかるものだと彼らは言うのです。そしてとにかく従えと。イスラム兄弟団における私たちのモットーは「サマアナ ワ アタアナ(我々は聞き、そして従う)」でした。
こうして何年も探求しつづけた結果、私は二つの論理的結論に達しました。1)聖書は誤りのない神の言葉である。そして、2)イエスは神の御言葉である、です。そしてイエスが神であることは可能であると考え始めました。
頭ではキリスト教の信仰さえ全て受け入れていました。しかし心の中では依然として「全能の神を『わが父』などと呼ぼうものなら殺されるんじゃないか」とおびえていました。私には奇跡が必要でした!
聖書も、「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です。』ということはできない(Ⅰコリント12:3)」と教えています。ですから救いの体験というのは、死から永遠のいのちへと移される誕生の奇跡なのです!
こういった内的葛藤の最中にあって、私は心の底から(モスクの中でさえも)アッラーに向かって叫びました。
「主よ、真理を私に示してください!イエスですかマホメットですか?あなたが私の御父であるということがありえますか?ああ私に真理を示してください。もしあなたが真理に私を導いてくださるなら、私は今後、どんな代価を払うことになっても生涯を通してあなたにお仕えします!」
そうするとどっと涙があふれてきました。というのも、代価というのは、私のようにか細く脆弱な人間にとって耐えがたいほど高いものだろうと思ったからです。
家族に勘当され、ホームレスのように道端で寝ることがはたして僕にできるだろうか?それにもしイスラム兄弟団の指導者たちが僕の動向をかぎつけたとしたらどうなるんだろう?そしてもし彼らがイスラム的正義感と熱情から、イスラムを擁護しそして僕を殺しにくるとしたら?
イスラム教によれば、背教者にはまず自説を撤回する3日間の猶予期間が与えられます。その後、こうした異端者の血はアッラーの名によって合法的に流されてしかるべしとなっています。
預言者マホメットの言葉が私の耳元で鳴り続けていました。「(イスラム教徒の)だれであれ、自分の宗教を変える者に対しては、この者を殺せ」と。
この伝統はアブー・バクル、ウースマン、アリ、ムアドゥ・イブン・ジャバール、ハリード・イブン・ワリッド等によっても述べられています。にもかかわらず、私は「私を導いてください。」と神様に祈り続けました。
ああ、偉大なヤーウェ。我を導きたまえ。この不毛な地にあって私は寄留者です。私は弱い。しかしあなたは強いお方です。
そんなある晩、キリストが夢の中に現れ、やさしい甘美な声で「お前を愛している」と言ってくださったのです。
これまで長い間自分はどれほど頑なに主を拒んできたのだろう。そのことが分かった私は涙の中で主に言いました。「私もあなたを愛しています!あなたのことを知っています。あなたはとこしえからとこしえまで永遠の方であられます。」
こうして目が覚めると、私の顔は涙でぬれており、私の心は大きな喜びで満たされていました。そうです、キリストご自身が私の頭にも心にも触れてくださったのです。
こうして私は主に自らを明け渡しました。すると私はキリストへの燃えるような情熱で満たされ、喜びに踊り、主の御名に賛美の歌を歌い、昼も夜も主に話し続けました。夜も胸元に誤りのない神の言葉―聖書―をしっかり引き寄せて寝ました。
最初のうち、私は神様の「甘えん坊」のような感じで、自分が祈り求めたものは何でも神様にいただきました。でもそのうち、私は気づきました。「神様は私が(主から)何かを得るためではなく、ご自身ゆえに、主を愛し主を礼拝してほしいと私に望んでおられるのだ」と。
私は自分の信仰を表には出さないように努め、パプテスマもある牧師の家で秘密裏に受けました。
でも救いの喜びにあふれた私は、もうこれ以上キリストのことを隠したり否んだりすることができなくなりました。それで、私の幼馴染が「キリストは十字架上で死んだのか」と訊いてきた際、私は「そうだ」と答え、その理由を説明しました。
その後彼は私と一緒に祈り、キリストを心に受け入れました。彼は私と祈るたびに震え、汗を流していました。彼は主イエスの御名がどんなに力強いかを目の当たりにしたのです。
しかし私が以前属していたイスラム原理主義グループの指導者たちが、こうした動向をかぎつけ、「イブラヒームのやっていることを洗いざらい話さなければお前を殺す」とこの友人を脅迫したのです。
悲しいことに彼は私を裏切りました。そして私はモスクの前で――以前私はこのモスクでイスラム教を熱心に説いていたのです――彼らに殴られました。
彼らの視点からみれば、私は不敬な異端者であり、再改宗しない限り、殺されてしかるべき存在だったのです。私の改宗は彼らにとって、もっともおそろしい形でイスラム教およびコーランの神聖を汚すものだったのです。
ひそかになされた私の改宗は今や公のものとなり、イスラム教徒たちは私を殺そうと図りました。それで私は逃亡を余儀なくされました。デルタ域の村からイスマイリアまで私は彼らに追跡され、その後やっとカイロにたどり着きました。
しかしカイロに住むクリスチャンの友人たちは私をかくまうことを恐れ、泊めてくれませんでした。そのため私は主の守りの御手を避けどころとし、再び村に戻るより法がありませんでした。
カイロから戻ると私の家は怒り狂うモスレムの暴徒でいっぱいになっていました。
私の母は黒い喪服を着ていました。彼らにとってイスラムを捨てた私は死んだも同然だったのです!
ムスリムの女性たちは私に叫んで言いました。「あんたのお母さんはこんなに悲しんでいる。なんてことをしてくれたの、あんたって人は!」別の女性は嘆いて言いました。「ああ、あわれな母親!息子は彼女を捨ててキリスト教という異端に走った。もし私が彼女の立場だったら、犬みたいに異端者たちの後を追いかけているような息子を殺してやるのだが。」
その頃父はヨルダンで働いていたのですが、私はヨルダンにいる友人から手紙をもらいました。それによると、父は(息子がキリスト教徒になったことで)ムスリムの労働者たちに激しく非難され、おいおい泣きながら道を歩いていたというのです。
一カ月後に父と電話で話すことができましたが、それまでの間、父はこれが原因でずっと寝込んでいました。
怒り狂ったムスリムたちがわが家になだれ込んできた日のことを決して忘れることができません。私の母は隣人のサイードの足元にひざまずき、「どうか息子の命を助けてやってください。そして代わりにこの私を殺してください。」と嘆願していました。
そしてこのような筆舌に尽くしがたい苦悶の最中、母は村人全員の前で私を勘当しました。
私は世界中で誰よりも母を愛していましたが、どんな人間の力も――たとえそれがどんなに巨大なものであっても――キリストの愛から私を引き離すことはできませんでした。そしてこれからも私はいつもイエス様のために生きていきます。
私の聖書、信仰書、賛美テープはすべて押収され、そして焼かれました。私はデルタ域からカイロに再び逃避行することにしました。警察は私を追跡していましたが、主は彼らの目をふさぎ、私を守ってくださいました。
カイロで私はエジプト人のバプテスト派の友人M宅に隠れました。M君は私をなぐさめ続けてくれました。そして次の御言葉を読んでくれました。
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った(使徒5:41)。
これを聞いた時、私は泣き崩れました。
私はこの友M君ゆえに神様に感謝します。彼は私を訓練し、賛美と感謝に満ち満ちた勝利の生活を送ることができるよう私を指導してくれました。そしてポケット版のアラビア語新約聖書もくれました。
しかし彼はある日「僕の両親がこわがっているんだ」と率直に打ち明けてくれました。私をかくまっていることが発覚するなら、彼らは終身刑に処されるのだと。
私にはもうどこにも行き場がありませんでした。それで私の牧師のアドバイスに従い、私は靴下の中に新約聖書を隠し、それが落ちないように祈りつつ村に戻りました。
そしてその後、私は逮捕されては釈放され、また逮捕され、、を繰り返しました。「神だけが私の唯一の隠れ家」という意味を私は体験のうちに学びました。
刑務所の中で、私はまことの平安を体験しました。そしてそれを私の救い主はご存知でした。私は獄の中に自分自身ではなくキリストをみましたので、揺るがされませんでした。
輝く明けの明星が来て私を救ってくださることを期待しつつ、涙のうちにも私は喜びの歌を歌いました。そして警察が押収できない場所に聖書を隠すことにしました――そう、私の心の中に。こうして私は聖句を暗記しました。
それ以来、私は聖書を脇に寝るのが習慣となりました。5年後ムスリムによる殺害計画を逃れ私は亡命しましたが、ショックを受けたのはアメリカにいるクリスチャンの中には、聖書を攻撃している人がいるということでした。――私はこの聖書ゆえに死ぬことも覚悟していたのです。
神の御言葉は信仰による約束を与え、私は幼な子のようにそれを信じ、確信をもって祈りました。御国の門は、私たちが神の御言葉を通して祈る時、開かれるのです。主の言葉はいのちを語っているのです!
一度私は母の日の贈り物を持って母の所へ行きました。「母の日の贈り物?」母はぼんやり答えました。「そうだよ、母さん。」私は答えました。
でも母は「贈り物?」と問い返し続けました。そして悲哀に満ちた目で私を見、こう言いました。
「15年も待ちに待って、やっと生まれてきたわが息子。でもその子はもう死んでしまった。イブラヒーム。私は最後の審判の日までお前を勘当するよ。」
私は泣きました。でもキリストは私の心に触れこう言われました。「今やわたしがお前の家族だ!わたしがお前の父、兄弟、母、姉妹、友、そしてすべてだよ、テモテ。」
また、忘れることができないのはこの時期、母が私を逮捕するよう警察に通報していたことです。
さらに母は占い師の所へ行き、私を呪ってもらい、イスラムの道に引き戻そうとしていました。しかし占い師は言いました。
「あなたの息子さんはある行程を進んでいます。彼はその道を捨てず、その道を歩み続ける限り、一生涯に渡って勝利に満ちた人生を送るでしょう。」
そして占い師の口から出されたこの言葉によって、私の弟はキリストを知ることになったのです。私たちの勝利の主に関する、悪霊の証しは懐疑主義や不信仰をちりに帰します。(どうぞローマ人への手紙8:35-39を読んでください。)
また私たちはキリストによって圧倒的な勝利者となるのです。そうです、勝利者であられるキリストはあなたを愛しておられます。本当です。どうか信じてください。
また私の聖書とすべての信仰書が押収されました。残るは唯一ラジオだけでした。私は夜ひそかにラジオの局番をキリスト教放送「希望の声(Voice of Hope)」にあわせ、賛美を聞こうとしていました。(ちなみに、現在私はアメリカという自由な国において「希望の声」を通じてメッセージを伝えています。)
しかし母はそれを見つけるや私の手からラジオをひったくり、靴で私の頭を打ちました。当時私は若干20歳でした。
私は聖書が与えられるよう祈り、主はその祈りに答えてくださいました。そして私は聖書の入った小包を受け取りに郵便局へ行きました。
しかしキャマールという郵便局長は小包の内容物が何かを知ると私を激しく叩き、顔面にパンチを食らわせました。あらゆる恐怖を目の当たりにしました、、痛さに涙が出ました。
彼は私に言いました。「こういう不信なキリスト教連中の後を追いかけたりしやがって。イスラムを捨てるのか?なら我々はお前を亡きものにしてやるからな。もう二度と日の光を見ることはできないと思っておれ!」
切羽詰まり、私は「エジプトを脱出することができますように。そして自由に信仰生活をすることができますように。」と熱心に祈り始めました。
ああなぐさめに満ちた御父。あなたはこれまで決して私をお見捨てになりませんでした。十字架上での苦悶のただ中にあって『わが神。わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』と叫ばれたあなたの御子を心に留めさせたまえ。
主イエス様。彼らは皆あなたを見捨てて去って行きました。でもあなたは御父のうちに安息されました。あなたのように、私は御父により頼む必要があります。
3年後、私はカイロに移る決心をしましたが、そこも安全な場所ではありませんでした。
最後に警察に逮捕された際、彼らは私に言いました。「お前は相当な反逆罪を犯した異端者である。次に逮捕される時には、死刑が言い渡されると覚悟しておけ。」
さらに私の地主(キリスト教徒)が「もうこれ以上、逃亡犯罪人をかくまうことはできない」と言ってきました。もはや国のどこにも居場所をみつけることができませんでした。誰も私を受け入れてくれませんでした。
しかしこの時、主が介入してくださいました。パレスティナ人の伝道者アニス・ショローシュ氏が私のことをペイジ・パッターソン博士に知らせてくださったのです。パッターソン博士は私が米国へのビザを取得できるよう奔走してくださいました。
最初、私のビザ申請は拒否されました。しかしパッターソン氏はあきらめませんでした。そしてついに入国ビザが下り、私は超自然的にエジプトを脱出することができたのです。
主よ。あなたはくびきからあなたの子を解放した後に、再びそのくびきに引き戻すようなことは決してなさいません。
警察の脅迫なしにキリストを礼拝できるような場所に住むことができるよう私を助けてください。主よ、どうか人々が私を強制的にモスクに行かせるような環境に住む必要がないよう取り計らってください。
あなたはあなたの子どもたちが自由に礼拝することを望んでおられます、、、たといそれが命がけで逃げることを意味したとしても、、それによってキリストが全ての全てになるためです。」
パッターソン博士の尽力がなかったならば、私は今日この地上に生きてはいなかったと思います。私の処刑はすでに計画されていました。
しかし地上で私の果たすべき使命がまだ残っていると神様はお考えになっていたのです。それゆえ、主はパッターソン氏をお用いになり超自然的に私のいのちを救ってくださったのです。
全能の神はみなしごの父です(詩篇68:5)。そしてダビデの言うように、私の父と母が私を捨てる時も、主が私をご自身の元に引き寄せてくださるのです。
友よ。全能の神があなたの御父ですか?(ガラテヤ4:6)全能にして偉大なる神はあなたのことを喜んでおられるのです(箴言8:31)。
米国に逃げ込んだ後も、不安は続きました。というのも、私の学生ビザはいずれ期限が切れるわけで、そうなると再びエジプト警察の手に捉えられる可能性があったからです。
エジプト政府にとって私はイスラム教の名誉を棄損し、国家に分裂をもたらした異端者なのです。しかし私はわが祖国エジプトに対しても、イスラム教に対しても恨みの気持ちなど抱いていません。神様はそれをご存知です。
牧師先生たちは、「最悪の場合、あなたを牧場の中にかくまいます。」と言ってくださいました。私は誰かの宗教的憤怒のほこ先になるのではなく、ただ生きたかったのです。
そんな折、ある宣教団体が私を支援してくださり、永住権を求める嘆願書を提出してくださいました。そして6年という長い年月の後、主は私の願いをきいてくださり、1998年4月18日――それは私たちの結婚式の数日前でした――に永住権を与えてくださいました。
結婚式の数日前と前置きした理由は、私がグリーンカード欲しさにこの女性と結婚したと誰にも偽りの非難をされたくないからです。
私はアンジェラへの愛ゆえ彼女と結婚しました。私はアンジェラに自分の全てをささげます。というのも私たちの愛の源は神から出たものだからです。
それは移りゆく感情ではなく契約であり、私と妻との間にあって主がその証人となってくださいました。妻は私の同伴者であり、私の親友でもあります(マラキ2:14)。
結婚の贈り物をしてくださった神様をほめたたえます。私が神様に自分自身と結婚への敬虔な願いを明け渡した時、主は私の元にアンジェラという女性を連れてきてくださいました。
アンジェラは私にとって神の天使のような存在です。彼女は内面的にも外面的にも美しい女性です。私たちは共に、ムスリムの兄弟姉妹にキリストの愛を分かち合うという共通の使命をもっています。
彼女は祈りの女性であり、人をやさしくいたわり、もてなし、そして与える人です。私にとって彼女は最高の女性です。
また彼女は私の両親を愛し、彼らに献身的に仕えてくれています。主よ、あなたはすばらしいご慈愛をもって私にこのようなすばらしい妻を与えてくださいましたが、私はそれを受けるに値しない者です。
私たちは心を合わせ共に祈っています。まことに私たちの創造主そして贖い主こそ最高の仲人です。
私があなたとの交わりをないがしろにして安楽な生活をむさぼるようなことが決してありませんように。
あなたは仰せられました。「また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(マルコ13:13)。
困難の最中にあってもどうか主よ、十字架のキリストの兵士として苦難に耐えることができるよう私に忍耐を与えてください。主よ、「あなたの御心を行なうことが真のいのちの糧です」と告白することができるほど、あなたの愛で私を燃やしてください。
キリストの御名によって。アーメン!

テモテ兄より日本の兄弟姉妹への応援メッセージ
愛する日本のみなさん。私はいつも日本の方々のことを、冒険心に富み、勇敢で前向きな人々だとうかがい知っております。
今後あなたの証しによってムスリムの誰かがキリストにある救いに導かれるかもしれません。

そのためには神の愛で満たされる必要があるでしょう。なぜなら神の愛は私たちの心からイスラムに対する恐怖心を締め出すからです。

そしてあなたのうちに宿るそのような愛により、あなたはムスリムを(恐怖の対象ではなく)「サタンによって捕囚の身になってしまっている人々」と見るようになり、そのようなあなたを用いて、主はムスリムを解放に導いてくださるのです。

そうして彼らもまた、あなたのように喜びをもって「アバ。父よ。」と呼ぶようになるのです。

「ムスリムの人々を救いに導くためにはイスラム教について、ムスリムについて熟知していなければならない」と考える必要はありません。

どれだけ知っているかというのが重要ではなく、どれだけあなたが主の聖なる愛の支配に自分を明け渡しているか、これが重要なのです。

そうしていったん自分を主に明け渡したなら、あなたは「助産婦」のようになります。
あなたの黙々となす奉仕というのはここそこの小さなものかもしれません。

しかし主こそがムスリムの魂を救う救い主であり、あなたがなすべきことはただ、祈りのうちに謙遜にそこにとどまることなのです。

「自分にはムスリムを救いに導くことなんてできない」とご自身の役割を過小評価しないでください。他でもないあなたを通して、全能の神は、傷ついたムスリムの心に語りかけ、奇跡のみわざをなしてくださるのです。

あなたはその働きにつく心の用意ができていますか。主はあなたがそういった現場に行ってほしいと望んでおられるでしょう。そしてそれは私の祈りでもあります。

愛する兄弟姉妹のみなさん。なにかコメントや感想がありましたら、いつでも連絡をください。

テモテ・アブラハム(Timothy Abraham) 2014年11月